Travel 6 ある日

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前日にふと思い立ち、有給休暇を願い出て、
帰りにJR田町駅のみどりの窓口でチケットを購入。

当日、東京駅から、
今は引退してしまった400系「つばさ」(TOP Photo )に乗り、
米沢を目指した。

米沢には以前に一度、家族旅行で冬に訪れた記憶がある。
上杉神社に参拝した記憶が。

駅前でレンタサイクルを借り、
まずは宮坂考古館に「赤塗りの甲胄」を観に。

次に春日山林泉寺へ。
ここは直江兼続夫妻の墓所。

次に上杉神社へ。
上杉家が米沢藩へ移封された後、上杉謙信を祀った。

そして、米沢駅まで戻り、堂森へ向かった。

そこが、最終目的地。
前田慶次の供養塔がある場所。


この頃はまだ今ほど前田慶次はメジャーでなく、
仕事の関係でその存在は知ってはいたが、
一般にはまだインターネットのイの字も知られていなかった時代。

米沢の何処かに、前田慶次の墓があると聞きやって来たものの、
詳しい場所がわからず、現地の人に色々聞いたが誰も知らない。

そんなとき、上杉神社で実演販売をされていた、

 笹野一刀彫 七代目辰五郎 高橋幸一  さんから、

堂森の方にあるらしいと教えられた。


そして、たどり着いた。


今では立派なお堂に収められいるが、昔は野ざらしだった供養塔



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供養塔の裏に刻まれた碑文

 前田慶次利貞は加賀藩主前田利家の甥、叔父利家に仕
えて小田原攻めに参戦、後、己を知る天下唯一の武将と
して直江兼續を知り、その主上杉景勝公に生涯を託した。
 慶長五年最上征伐には直江と共に出陣大いに戦い殿軍
をつとめ完全撤退を果して戦史に名を留めた。後この地
堂森に居を賜り邸を「無苦庵」とよび悠々自適この地を
愛し郷民と親しみ、慶長十七年六月四日七十才の生涯を
閉ぢた。慶次は天性豪放磊落奇行に富み文武は勿論広く
諸芸道に通じ無苦庵記・道中日記・亀岡文殊奉献和歌がある
 前田邸址・慶次清水・月見平に今も慶次は生きている。
  昭和五十五年十月吉日
       松心山光照院善光寺第中興三十五世酒井清滋
             上杉家家職山田武雄撰並書
           岩崎石材工業㈱岩崎祐吉施 工
               外 有 志 一 同




写真に記された日付は、1994.6.16 だった。




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